こんにちは、設計の古橋です。

先日まだ蒸し暑くなる前のこと、京都市左京区に佇む［鈍考］へ足を運んできました。

［鈍考 donkou］とは、市中から少し離れたエリア、傍に小川の流れる閑静な住宅街に建つ「私設図書室」及び併設する「喫茶」からなる建物で、建築家の堀部安嗣さんによる設計です。

写真は西に面した正面ファサード。

水平を基調とした瓦葺きの下屋と、高さを低く抑えた切妻屋根のボリュームが、静かな周辺環境の中に遠慮がちにひっそりと佇む印象です。
綺麗に苔のむす法面に渡された大谷石のアプローチも相まって、建物内への関心が一層掻き立てられます。

SNSで今年5月にオープンされたことを知り、訪れるのはいつにしようか思案していたところ、弊社が加盟している「小さな町の工務店ネットワーク」が主催するセミナーに参加した折りに、偶然にも堀部安嗣さんご本人の公演で、［鈍考］についての言及を拝聴する機会に恵まれました。

その公演のなかで、近年の仕事では「安定した快適な場所」と「不安定な快適な場所」の対比を併せ持つ建物や、東西（南ではなく）の景色を切り取る開口部に拘っているという話がありました。
テラスや軒下空間などの半戸外の利用率を設計手法によって高めるという視点や、南の日射取得より東西の情感的な景色を切り取るという、パッシブデザインの設計コードとは異なる視点の開口部設計に面白さを感じ、すぐさま利用予約をしました。

玄関から引き戸を開けた先に広がる景色。

左手には約3000冊の蔵書が並ぶ造り付けの本棚、右手の畳小上がりスペース上部には意匠梁。その静けさの中、木材の選定から大工職人の手刻み仕事の丁寧さに暫しうっとりしてしまいます。

そして言わずもがな、視線の先に切り取られた檜林の借景に視線を奪われます。
これが造園ではなく借景なのです…まるで周辺環境に寄り添うかたちで設計された建物に与えらた恩恵であるように感じられます。

特等席と思しきラウンジチェアには先客がいらしたため、気になる一冊を携えて右手の小上がりに併設するカウンターへ着座。
90分間の滞在時間に加えて、店主の淹れる手廻し自家焙煎の珈琲をご馳走になれます。
珈琲が苦手な私は、トラウベンモストの白葡萄ジュースをいただきました。

建物間口いっぱいの大開口と室内外の柱、また軒の水平ラインが織り成す建築が切り取る風景は筆舌に尽くし難いのですが、それにも増して贅沢な居場所が軒下の半戸外空間。
「安定した快適な場所」と「不安定な快適な場所」の対比の話にあったように、温熱的にも心地よい寛げる読書スペース（=安定した快適な環境）がある一方で、景色が良く雨は凌げる半戸外空間（＝不安定な快適な場所）があると、敢えて積極的に外へ出たくなるという、その設計意図を体感した思いでした。
半戸外の気持ち良さに加えて、安全で快適な場所へすぐに戻れるという安心感が重要なのでしょう。

写真右手に小さく紫色の花が咲いていますが、つい先ほど蕾が開いた桔梗の花と店主が教えてくださいました。
そんな瞬間に気がつくことの叶う暮らしが何とも素敵です。
目まぐるしい日常と、ここ［鈍考］での時間の流れの違いを顕著に表す出来事と感じます。

滞在した90分の内、半分程はこの東に開けた軒下空間のベンチで過ごしていたと思います。
本を読んだり、ぼーっとしたり、日々の喧騒とは無縁の贅沢な時間。
本のラインナップは建築や家具にアート、山関連から漫画まで幅広く、普段読まない本を手に取っては好きな場所に腰掛けてじっくりページを繰ってみるだけで、ずいぶんと清々しくクリアな気持ちになれます。

帰り際、この大谷石のアプローチを降りて行くときにふと思い当たったことが…!

一枚が奥行き40cmの厚みが5cm程度でしょうか、一段ずつ大谷石板を飛ばすことなく歩めば、自ずと緩慢な歩行速度になるのですが、忙しない日常と［鈍考］での時間の流れの変化を意図的に知覚させる仕掛けなのではないだろうか。
オーナーや堀部安嗣さんの意図するところは定かではありませんが、ゆったりと90分の静寂に身を置いたあとにまた日常へ戻っていく感覚も相まって、そう感ぜざるを得ないのでした。

最寄りの叡山電鉄の駅のホーム。
時間の流れが遅い場所を意図したネーミングは、この各駅停車の鈍行列車とかけているのかもと勘繰ってみたり。
叡山電鉄にゴトゴト揺られるところから、日常から［鈍考］への時間のグラデーションは始まっているのかもしれません。
次回はまた季節を変えて、願わくばスマートフォンと邪念（ブログに書こうなどという…）を置いて訪ねたいと思います。